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目の前の惨劇で前世を思い出したけど、あまりにも問題山積みでいっぱいいっぱいです。 3
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目の前の惨劇で前世を思い出したけど、あまりにも問題山積みでいっぱいいっぱいです。 3

著者:猫石 イラスト:茲助

序 章 王都より、嵐来襲

トロピカナフィシュ国の南。国境沿いに広がるモルファ領の春の訪れとこの年の実り、そして旅人の平穏を祝う女神の花祭りから半月が過ぎた日差しの強い昼下がり。
 昨年末から小規模ながらも続いていた魔物の脅威もひと段落し、ひとときの安寧が訪れた南の国防の要である南方辺境伯騎士団本部で唯一、漠然とした緊張感に包まれていた騎士団長執務室に、けたたましい靴音と制止する声が近付いてきた。
「騒がしいな」
「確認してまいります」
 あまりの騒々しさに部屋にいる誰もが顔を顰め、一人の文官が立ち上がった時だった。
「ラスボラ! 顔を貸しなさい!」
「これは! シグリット隊長!」
 先ぶれどころか突然現れノックもなしに開けられた扉から、つむじ風が纏う稲妻のように室内に飛び込んできた声の主が、青の強い銀髪に銅色の瞳という色彩に、王都でも公式行事か王宮内でしか見ることのない深紅の地に繊細な金の房飾り、胸には美しい勲章の下がる隊服と漆黒のトラウザースを身に着けた姿であったことから、補佐官や事務官は慌てた様子で立ち上がり深く頭を下げた。
「許可も得ず団長室に入るとは何事だ。先ぶれはどうした、無作法が過ぎるぞベラ」
 無作法な態度を咎めたのは副団長兼一番隊隊長のアミア・カルヴァで、無作法を咎められた側のベラと呼ばれる女性は、常日頃王宮の文官や女官たちから美しいと褒めたたえられる目元を歪める。
「そんな悠長な状況ではないわ。ラスボラ……いいえ、モルファ辺境伯騎士団長に話があるの。カルヴァ副団長にも確認したいことがあるわ」
 己の要件を主張する一見すればひどく無作法な声に名指しされた男─この南の領地を統治し国境を守るモルファ辺境伯家の当主であり南方辺境伯騎士団団長でもあるラスボラ・ヘテロ・モルファは忌々し気に顔を歪めながらため息とともに言葉を吐き出した。
「王宮近衛隊員であるお前がなぜここにいる」
「話があると言ったはずよ。申し訳ないけれど、二人以外は退出してちょうだい」
「私は忙しい身だ。お前に用などない。さっさと王都へ帰れ」
 突き放すような言葉にも動じることなく、彼女はラスボラの前に立つ。
「えぇ、私も忙しい身なの。けれどどうしてもあなたと話す必要があるの。無駄な時間はないのだから早くしなさい」
「先ぶれもなくやってきた無作法な人間にやる時間はない。出ていけ」
「彼女は王都からやってきたのだ、少しくらいなら話を聞いてもよいのではないか?」
 傍若無人な態度をとる相手に対し頑として否を突き付けたラスボラは、しかしカルヴァからもそう言われたため、仕方なく話し合いの場につくことにした。
 そんな三人の前に、青い顔をした補佐官が紅茶とブランデーケーキを並べて出ていく。
「これは?」
「モルファ辺境伯夫人の考案したブランデーケーキという菓子だ」
 初めて見るブランデーケーキを前に首をかしげたベラは、隣に座るカルヴァの言葉に目を輝かせると、それを両手で目の高さまで持ち上げた。
「これが例のブランデーケーキね! どれどれ……美味しい! 王都で噂になるのもわかるわ」
 行儀悪く手で摘まみ半分を口に入れたベラは、その味に破顔すると残りもぺろりと平らげた。
「噂? 王都でか?」
「えぇ。美食家で有名な伯爵夫妻が『花祭りで恋をした』と茶会で話して噂になっているの」
 カルヴァ、さらにラスボラの前に置かれたそれも平らげて、さらに紅茶を一気飲みして満足げに笑ったベラの、その粗雑な所作が目についたラスボラは眉間にしわを刻む。
「マナーがなっていないな。王都で恥をかくような真似だけはしてくれるなよ」
「はっ。あなたじゃあるまいし。こんなマナー違反、ここ以外でするわけないじゃない」
 澄ました表情でそう言ったベラは、今度は見せつけるように美しい所作でお代わりの茶を注ぎ口を付ける。そんな彼女にラスボラはため息をついた。
(相変わらず乱暴な女だ。ネオンであればこのような淑女にあるまじき行動をとらない。彼女は所作の一つ一つがとても美しく……あぁ、母上もそうだったな……いや、そんな話ではない)
 ベラの所作にネオンを思い母を重ねた不毛さに気付き、思考を切り替える。
「それで? 何をしに来た」
 さっさと話を終えて執務に戻るためにラスボラが話を促すと、ベラはすっと目を伏せた。
「本当は、王都から輿入れされた南方辺境伯夫人にお会いするため、だったのだけどね」
「ネオンに? 何が目的だ?」
 歩み寄ることのできぬ妻の名が出たことに顔を険しくしたラスボラを冷めた目でベラは見る。
「私が隣国へ留学中の王女殿下の警護で国を離れている間に我が一門の長であるあんたの元に、恐れ多くも王家と並び称される三公が一柱・司法公が長くその存在を秘してきた宝石姫が輿入れされたと知れば、急いで挨拶に伺うのは当然でしょう⁉ しかも王宮で伝え聞く話と父上やポーリィお姉さまから貰う手紙の内容に乖離があればなおさら。」
「前子爵とポーリィから?」
 思わぬ名にラスボラはわずかに顔を上げる。ポーリィとはポーリィ・カルヴァと言い、今は亡きラスボラの兄の元婚約者であり、現在はそばにいるアミア・カルヴァが婿養子に入る形で婚姻した女であるため、ラスボラからすれば長らく顔も合わせていない女の名がなぜここで出てくるのか心底不思議であり、それを察したベラはひどく深いため息をついた。
「二人はね、あんたが陛下の口添えで司法公の姫君と婚姻したにも関わらず、儀礼的な結婚式しか行わず、しかもそれに一門の誰も参列せず、いまだ披露目の場も設けられていないと知らせてくれた。王都では公女様は恙なく嫁ぎ、その才覚を見せていると聞いていたから真意を確かめに来たのだけれど……その顔だと本当なのね。信じられないわ」
 何も言わない男二人の様子に、それが事実だと悟ったベラはひどく苛ついた顔をして咎める。
「公爵家相手になんてこと。確かに我が家門は名ばかりの侯爵家など足元にも及ばない辺境伯位を拝命しているけれど公爵家と王家は別格。司法公が立腹されなかった事に感謝するのね」
「あちらも了承済みの事だ」
 吐き捨てるようにそう言ったラスボラを、ベラは睨みつける。
「貴方がそれを司法公へ提案したのね。馬鹿じゃないの? わかっているの? 司法公は陛下の要請で由緒正しい血統の証である『宝石姫』をここへ嫁がせたの。その意味を理解するなら西と北の辺境伯家同様、王都で婚姻式も披露の宴も行うべきなのよ。けれどあなたはそれどころか彼女を親族にすら会わせていない。一体何を考えているの?」
 強い非難の言葉にラスボラは呆れたようにため息を漏らす。
「お前こそ何を言っている。そもそもこの婚姻は陛下の押し付けで、王都へ婿に出せる者などいないと断ったものだ。そこに司法公が娘をこちらへ寄越すと言い出した。故に無用な争いを回避するため了承した。司法公には事前に魔物の強襲には至らぬまでも魔物が多発しており、一門を王都へ集める事は出来ないと説明し、公爵親子を辺境に招くため貴重な戦力を警護に割いた。最低限の義理は果たしているだろう、文句を言われる筋合いはない」
「はぁ⁉ あんた正気なの?」
 しかしそう言ったラスボラに、ベラが冷たい視線を送る。
「すべて問題だらけよ! 陛下の押し付け? 婚姻拒否? 最低限の義理ですって⁉ 世襲で辺境伯家になっただけでなんの功績もない若造がなんて不敬なの」
「ベラ、言葉を慎め」
「何を慎む必要が? 言っておくけれどそれを黙認した当主全員も同罪よ。もしかして兄さまも私の言う問題の意味がわからないの? それとも知っていて放置したの?」
「……それは」
「アミアを責めるな。私が何も問題はないと言った。大げさに騒ぐな」
「大げさ……?」
 不遜な物言いをするベラを諫め逆にやり込められ言葉を失うカルヴァに助け舟を出せば、彼女はラスボラを正面からしっかりと見据える。
「何が大げさなの? あなたは本当に何も理解してないのね。王家と公爵家を軽んじた言動を閣下が口を閉ざしてくださっているから大事になっていないだけ。婚姻拒否も陛下から『南方辺境伯家に反逆の意志あり』と咎められなかった幸運に感謝すべきことなのよ」
 ベラの言う『反逆』という重い言葉を、ラスボラは鼻で笑う。
「なぜそうなるのだ。私にそのつもりはない。お前はいつも大げさに……」
「あなたはそうでも周りは違う。王宮では、社交界では言動・表情を常に監視され、何か一つでも間違えば一族郎党破滅する。今回の不用意な発言と行動が咎められていたらどうなっていたと思うの? まず一門で唯一王都にいる私の首が飛ぶ。その後は? あなたのやらかしを私の命一つで贖えればいいけれど、短絡的で自分の非を認めないあなたなら逆上して王家・公爵家相手に開戦かしら? そうして反乱軍の長となったあなたを皆は担いでくれるかしら?」
「ベラ、やめろ」
「何をやめろと? 兄さまたちも理解するまで周りで補佐すればいいだなんて甘いことはやめて、いい加減この馬鹿に現実を叩きつけなさい。このままじゃモルファ一門は破滅よ」
 厳しい表情で彼女を咎めるカルヴァにベラが真っ向から反論する中、浴びせられた言葉の真意をすぐには理解できなかったラスボラは、ようやくそれを理解し、ベラを見る。
「私が討たれる? いやそもそもお前の首や反乱など、なぜそんな話になるのだ」
 心底わからないという表情をしたラスボラに、一瞬あっけにとられたベラは笑う。
「これが馬鹿な使用人がひたすらに正論から遠ざけ甘やかし、フィデラ様の遺志を継ぐものが支えた結果とは……無様だわ。自尊心と御託だけは一人前のくせに何もわかってないのね」
「貴様! 兄上と私を愚弄するつもりか!」
 目の前が真っ赤になった感覚がラスボラに腹の底から声を吐き出させ、机に拳を叩き付けさせ、その衝撃に茶器が揺れて音を立てたが、彼の怒りは収まらない。
「そもそも南方辺境伯一門の主要な当主は騎士団の重要役職についており、常に顔を合わせて意思疎通も滞りない! 我が一門はどこよりも固い絆があり、盤石以外の何物でもない!」
「……本当に、なんでこんなことになったのかしら」
 そう言い切ったラスボラを、ベラは冷たく見据えたままため息をつく。
「確かに騎士団は我が一門の誉れではあるけれど、それだけでは立ち行かないのよ?」
「どういうことだ?」
「主要な当主と言ったわね? もちろんそこには騎士ではない当主も含まれているのよね? 騎士団に身を置く夫に代わり家を守る女主人も。まさか彼らを置き去りにはしてないわよね?」
「辺境伯家の本分は騎士団だ!」
「陛下の信頼の厚い国の防衛の要である辺境伯騎士団を誇るのはいいわ。あなたは団長だもの。けれどあなたは領主でもあり、守るべき民がいることを忘れている。騎士団は国の安寧を担うために騎士を育て、共に剣を振るう。その一方で領主として税を納めてくれる自領の民が安寧に暮らせるよう心を尽くさねばならない。どちらか一方を優先することも疎かにすることも許されない。けれど騎士団を率いながら広大な領を統治することは難しい。だからこそ領内に分家や代官を置き、騎士を率いる夫の代わりに女主人が彼らを取りまとめる。前辺境伯夫人のように」
「母上が?」
 驚いたような声を上げたラスボラに対し、ベラは呆れたように深いため息をつく。
「覚えていないの? 呆れた。あなたは一体何を見ていたの? 叔母様は家門の女主人と子を集めて茶会を開き、常に連絡を取り合いながら領内の視察慰問に出向かれていたじゃない」
 思い返せば、前辺境伯夫人が存命の頃は、屋敷は常に他家の母子が行き来し、庭では子の笑い声が響くのを一門の女主人が茶を囲みながら見守り、幼い兄弟を連れ領地を回っては代官や集落の長と言葉を交わしていたが、そのような意味合いがあるとラスボラは思いもしなかった。
 そんな、わずかに狼狽えた空気を纏うラスボラに、ベラはもう一つ深いため息をついた。
「あなたがフィデラ兄さまと叔母さまのことで今も自分を責めていること、後継となったあなたに対し厳しく教育することになった叔父さまに反発と劣等感を持っているのは知っているわ」
「劣等感だと⁉」
 その言葉に、怒りをあらわに立ち上がったラスボラを見上げながらベラは肩をすくめる。
「そうやって目くじらを立てること自体、すべて肯定しているのよ」
 顔に熱が集まる感覚に苛立ったラスボラは、平静を装い彼女を静かに見下ろす。
「不愉快だ。アミア、こいつを叩き出せ。これ以上付き合いきれん。執務の邪魔だ」
「都合が悪くなると逃げるのは相変わらずね。あんたが罪悪感と劣等感の昇華の仕方を完全に間違え、都合の悪いことから目を逸らし続けた結果、辺境伯騎士団と一門に亀裂を入れたのよ」
「何だと⁉」
 吐き捨てるように言って席を立ったラスボラは、ベラの指摘に声を荒らげ振り返る。
「ベラ、やめろ! ラスボラもやめるんだ!」
 今にも殴り合いを始めそうな二人の間に入ったカルヴァを押しのけ、ベラは続ける。
「お二人が亡くなられた後、叔父さまは一門を守るため騎士団長を務めながら領内の事にも心を砕いた。そして後継となったあんたにもそうあるようにと厳しく教育した。婿に出る予定の次男のそれとは比べ物にならない厳しさに、あんたはお二人を殺した自分が憎いからだと泣いて逃げまわっていたけれど、叔父さまやお二人の気持ちを知る者がそうではないと何度も伝えたはず。なのにあんたは勘違いしたまま嘆いてばかり。いい加減甘えを捨てて現実を見なさい」
「私のどこがそうだというのだ!」
 食ってかかるように叫ぶラスボラに、ベラは続ける。
「己の言動、周囲からの言葉を思い出せと言いたいところだけど、無理でしょうから教えてあげる。フィデラ兄さまと叔母さま、それからあの軍医の死に間違った認識を持ち、医療班を解体し騎士団に不安と混乱を招いた。一門の本分は騎士団がすべてと勘違いし、自分は団長として完璧に統制を取れている、騎士団が安寧であれば一門も盤石であると思い込み、騎士団に関わりの少ない分家を軽んじた。諫言を遠ざけ、自分に肯定的な者だけで周囲を固め、自分は何も間違っていないと相談せず、助言を無視して行動し、王家と公爵家という決して敵にすべきではない相手に無礼を働いた。これだけのことをしておいてどうしてそうでないと言えるの?」
「そのような事はない。我が一門は盤石だ。騎士団に関わりない家門を関係ないなど考えていない。ましてやお前が言う王家や公爵家を敵に回すなど考えたこともない!」
 断言された内容に吹き出すように鼻で笑ったベラの態度に、ラスボラは目を吊り上げる。
「何がおかしい!」
「ではなぜ一門の当主の意見を無視したの? 少なくともシグリット前子爵は北方・西方伯に倣い王都で同列の催し、もしくは辺境で一門を集め司法公の御前で披露目を行うよう進言したはずよ? それなのにあなたは王家をも凌駕する力を持つ公爵家の中でもさらに高貴で特別な姫君に対し自分の言い分だけ突き付け捨て置いた。その一連の愚行が王家と公爵家、そして我が一門に連なる者を侮っていないとどうして断言できるの?」
「彼女は王家・公爵家からその身柄を預かっただけだ。いずれ王都か彼女の望む地へ返すつもりで、だからこそ妻として扱う事も披露目も不要と判断した。誰かを侮ったわけではない」
「は?」
 その言葉に、ベラの顔からは表情が抜け落ちた。
「……ラスボラ」
「何だ」
 突然の変化に困惑するラスボラの傍に立つカルヴァは、次の瞬間、俯き、低く唸るように声を出したベラの周囲に急激に冷え込んだ空気が渦巻いたことに気が付いた。
「歯を食いしばれ!」
「やめるんだ!」
 二人が言い終わる前に、ラスボラは左頬に強い衝撃を受けていた。
 衝撃と耳鳴り。不快な音の間で聞こえるカルヴァの声でラスボラは何があったか理解する。
 ベラの突然の暴挙に少々面喰ったが、正しくは彼女の言動から何が起こるか予期できたからこそ、彼女の渾身の拳を左頬に受けても、膝をつくという恥ずべき事態にはならなかった。
「ベラ! お前は何を考えているんだ! 大丈夫か、ラスボラ」
 差し出されたカルヴァの手が冷たい刃に見えたラスボラは、それを振り払ってはっとする。
「……大丈夫だ」
 そう告げるために口を開くと、奥歯に当たり裂けた傷口が開き、口腔内に収まりきらなかった血液が音を立てて床に落ちる。その不快感と痛みにラスボラの中に怒りが湧き上がるが、この程度で辺境騎士が冷静さを欠くことはあってはならないと、逆立つ心を抑えるように取り出した手巾で口元を覆う。
「ベラ、貴様……」
 血が止まったのを見計らいベラの名を呼んだ瞬間、ラスボラの口の中には再び血液が溢れ、赤く染まった手巾では収まりきらなかった血液がさらに音を立てて床に落ちる。カルヴァの出した手巾を受け取ると、口の中の唾液交じりの血液を吐き出してから改めてラスボラはベラを見た。
 扉の外から、騒ぎを聞きつけたであろう複数名の靴音と扉を叩き安否を気遣う声が聞こえてくるが、カルヴァが下がるよう指示を出す。
 遠ざかる靴音を聞きながら、苛立った表情と態度をあらわにするラスボラはベラに言う。
「一時の怒りに任せて暴力を振るうのが王宮騎士か?」
 その言葉に、拳を振り切った体勢から背を正した彼女は静かにラスボラを正面から見る。
「一時の怒り? そんな些細なことで人を殴らないわ。今の拳は、遠い昔に心に大きく深い傷を負い、けれど無責任に甘やかした駄目な大人たちのせいで、見てくればかりが成長した甘ったれの幼馴染みに対し、共に育った従姉としての拳よ」
「なんだと?」
「ベラ、やめるんだ。ラスボラには私から……」
「これまでラスボラの愚行を諫めてこなかった人間が、何を言えるの?」
 制止するカルヴァを一瞥した彼女はただ静かにラスボラの正面に立つ。
「いい? あなたは貴族として確固たる覚悟をもって嫁いだ令嬢を侮辱し否定したの」
「存在の否定? 覚悟? それに侮辱だと? たかが婚姻にそんなものあるはずないだろう」
 呆れた風に言ったラスボラに、ベラは顔を険しく、声を低くする。
「たかが婚姻? あなたには今回の婚姻の意味を、子どもの頃に習うべき貴族の心得を含めて一から百まで説明しないと理解できないのね? 高位貴族の当主たるものがそんなことでどうするの? 貴族であれば当たり前の常識すら持ち合わせず、周囲の状況を知ろうとしない。守るべき相手を慮るどころか踏みにじる。それが正しい辺境伯家の当主で辺境騎士の姿なの?」
「常識知らずはどちらだ! 昔馴染みと言えど私はお前の上官で一門の長だ! 口を慎め!」
「ラスボラ、落ち着くんだ。ベラももうやめるんだ」
「止めるな、この礼儀知らずを……」
「一門の長、上官……ねぇ。では、改めて申し上げましょう」
 声を荒らげるラスボラをカルヴァが止める。幼い日から繰り返される変わらぬ光景にひどく冷めた目を向けたベラは、大きくため息をつくと、わずかに乱れた王宮近衛騎士の隊服の襟元と裾を整え姿勢を正し、わざと一つ高らかに踵を鳴らして、苛立ちを隠せずにいるラスボラの真正面に立った。
「本日はモルファ辺境伯家の一角を担うシグリット子爵家当主として、一門を統べる立場にありながら愚行を続け、一門を窮地に追いやろうとするモルファ家当主殿と、それに気が付いていながらなお黙って支えるだけの次席の家長に進言するため、王都より参上いたしました」
「何?」
 深く眉間にしわを刻み目を吊り上げるラスボラと、彼女の変わり身にラスボラを宥めつつも居住まいを正したカルヴァに、ベラは続ける。
「ラスボラ殿。あなたはモルファ辺境伯家の当主であるにも拘わらず、臣下の諫言を無視し、己が感情で物事を進め、騎士団とモルファ辺境伯領に剣を捧げた騎士の命を粗末に扱い、傷付いたものを足蹴にし続け、領民を苦しめた責任をどう取るつもりですか。その上……」
「そのようなことはない! お前は私を侮辱するつも……」
「侮辱ではなく進言です。あなたはモルファ家を長く支える忠臣である分家当主の言葉すら黙って聞くことが出来ないのですか? それは一門の長として正しい姿ですか。前辺境伯当主は、前辺境伯夫人は、兄君であるフィデラ様は、そうであるようあなたに教えましたか?」
 その言葉に、怒りをあらわにしていたラスボラがわずかに怯んだのをベラは見逃さずたたみかける。
「あなたは先ほど、陛下のご意向で嫁いだ令嬢を妻と認めないと言った。恐れ多くも陛下の意向を無視したこと、これまで王侯貴族が連綿と国を守るために続けてきた政略結婚を否定したことをどうお考えか。そもそも政略で他家に嫁ぐという事は家同士を強く結び付けるために婚家の血を引く後継を産むという事。その使命を帯びた令嬢に婚姻当夜に白い結婚を言い渡すなど『死ね』と言うのと同義。あなたは傷付いた騎士同様に公女様をも死地に送るつもりか?」
 ベラの言葉に、ラスボラは呆れたように首を振る。
「なぜそのように大げさな話になるのだ。そのようなつもりはない!」
「ではどのようなつもりだと? あなたは公爵家と南方辺境伯家、ひいては国の安寧の橋渡しとして嫁いだ令嬢に必要ないと突き付けたのですよ?」
「それは……彼女の身を案じたからで」
 動揺を隠し切れないラスボラに、ベラは冷静に言葉を続ける。
「本当に身を案じているのなら立場が盤石となるよう披露して子をなし、陛下と閣下、そして全貴族へ『辺境伯家の女主人と次期辺境伯だ』と奏上するべきです」
「お前が言うその行為は儀礼的・義務的なもので彼女の意志がないではないか!」
「前辺境伯夫妻も政略結婚でしたが? 貴族の結婚に本人の意思など関係ないのは世の常です。」
「確かにそうだが、しかし屁理屈で彼女の尊厳を踏みにじろうとしているのはお前……」
「政略で結ばれた婚姻にそのような甘えは通用しないと言っているのです!」
 動揺するラスボラが否定の言葉を言い終わる前に、ベラが強い口調で遮った。
「貴族の婚姻とは爵位が上がるほどそうなるのが常。そして陛下の意向の前には誰の意志も関係なく必要なのは王家への忠誠と婚家への敬意のみ。王家に連なる公爵家と国防を担う辺境伯家が双方手を取って陛下への忠誠を誓う。その不確かなものを形にしたのがこの婚姻なのです」
 その言葉に一瞬口ごもったラスボラは、それならばと反論する。
「ならば案じる必要はない。彼女には私自ら関係のやり直しを伝えた。すぐにでも……」
 自信を取り戻したかのようにそう言い切ったラスボラを、さらに冷ややかな視線が射る。
「あなたがやり直しを伝えているからなんなのです。彼女は拒否したのでしょう?」
「それは……いや、だがお前が今言ったこの婚姻の重要性を伝えれば……」
「もう遅いのです。そもそもなぜあなたは自分の立場が彼女より優位だと勘違いを? 彼女は三公が一柱、司法公一族の中でも特別な『宝石』を冠する令嬢。我が一門の誰よりも高貴なその令嬢に対し、あなたは一方的に何度も、時に衆目が集まる中で聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせ辱めた。その上その非礼を謝罪せぬまま自分が惚れたという理由だけで契約破棄と関係のやり直しを申し出るような男など拒絶されて当然。彼女であればあなたの非道を陛下や閣下に奏上しこの家ごとつぶすことも出来たのです。しかし彼女はそれを身の内に留め、モルファ領と民の為に心を砕いてくださる。我々は彼女に感謝し敬意を払うべきなのです。そもそもあなたは自身が口汚く罵られた相手から謝罪もないまま『惚れた』と関係を迫られて素直に受け入れられるのですか?」
「……っ。それ、は」
 彼女の言葉になんの反論の言葉も浮かばず口ごもったラスボラに、ベラはため息をつく。
「自分が出来ないことを相手に求めるなど身勝手極まりない。自身の彼女に対する行動言動のすべてが騎士として領主として人として最低だと理解なさった方がいい。それから」
 立ち尽くし青ざめるラスボラに彼女はもう一度ため息をつくと、少し口調を和らげる。
「私がいま話した事柄は、あなたが全幅の信頼を置き傍に置き続ける辺境伯家の家令以下古参の使用人たちから聞かされました。あなたの身勝手さを彼女が無慈悲だとすり替えたうえで仲を取り持ってほしいと事細かに。その行為は高位貴族の家に仕える者とは思えない非常に軽率で無責任な行動です。辺境伯家当主として傍に置く人間を見直した方がよろしいでしょう」
 そこまで言ったベラは、もう一度踵を揃え、居住まいを正す。
「改めて。まずは我が一門を統べる当主殿に無礼を働きましたこと、心よりお詫び申し上げます。しかし幼馴染みでありあなたを支える分家の当主として改めて忠告申し上げます。モルファ一門は今、盤石ではありません。あなたが当主となった五年の間にそうなったのです。なぜそうなったのか、これからどうするべきか。どうか当主としてお考えください。確かにあなたは苦しんだ。しかしあなたはこの辺境を守る当主であり国を守る辺境伯騎士団長。我が身可愛さだけではいられない立場なのです。このままでは志半ばでお斃れになったフィデラ様が浮かばれません」
 低く重く強い言葉は刃となって全身に突き刺さり全身に突き刺さり血が噴き出す錯覚を起こして、口元を押さえた私に対し、ベラは取り出した手巾を差し出した。
「口元は冷やされた方がよろしい。こちらをお使いください。その後は捨ててくださって結構です。それから、この後少しカルヴァ副団長をお借りいたします。それでは失礼します」
 それだけ言うと、ベラは一礼し、彼の傍で黙したままのカルヴァの腕を引き部屋を出た。
 ─ただ一人、呆然とするラスボラ一人を残して。