01TEXT試し読み
はぐれもの達の魔王城開拓記 1
著者:ささくら一茶 イラスト:叶世べんち
序章 王女ローレンティア
必要とされないものは、存在するべきなのだろうか。
世界は車輪だ。途方もなく大きく全貌の見えないそれは、私たちの頭上で回転を続ける。生きるものは全て、その輪に入らなければならない。
人の社会は循環する。畑の収穫物は出荷者から消費者まで巡り、誰かの仕事が誰かを支える。そうやって人は対価を払い、輪の中に入っていく。
他の生物も変わらない。植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べ、死んだ肉食動物は土へと還り、植物の糧となる。その命を捧げて、あらゆる生物は世界の車輪に参加する。
では、必要とされないものはどうすればいいのだろう。その輪に入れず、流れの中に混じれずに弾き出された者は。社会の中に、居場所を見つけられなかった者は。
果たして、存在するべきなのだろうか。
「今より二年前、勇者一行が魔王を打ち果たしたことは、ローレンティア様におかれましても記憶に新しい限りでしょう」
重く、堅苦しい声が響く。王女ローレンティアは王城内の謁見の間に立っていた。王族であるはずの彼女は、今は謁見する側の立ち位置だ。そして段の上、謁見される側の席には彼女の母たる女王が座し、娘の姿を無感動に見下ろしていた。
その脇で、おそらく騎士団長か何かだろうか、頑強な体躯と厳格な顔つきをした男性は一層声を張り上げる。
「しかし、凶暴な魔物共を擁する魔王軍が残した被害は甚大であり、我が国を含め各国とも戦後復興に追われているのが今日の状況であります。一世紀以上魔王軍と戦い続けた各国に十分な国力は残されておらず、戦災難民への生活支援は不足していると言わざるを得ません」
一般的に言っても、王女ローレンティアは美人と評される顔立ちだ。かつて王国一と謳われた母親の美貌を継ぎ、少女と呼ばれる年代を終えた彼女は、銀色の髪も相まって白百合を思わせるような美女へと成長を遂げつつあった。だが今は、その顔も不安に曇っている。
「これを受け半年前の王族会議にて、戦災難民を救済するべく国々をまたぐ一大部隊〝銀の団〟の結成が決議されました」
両脇の壁には近衛兵達が整列し、沈黙を守っている。ただローレンティアに向けられるその目は、自国の王族ではなく、むしろ敵兵に向けられるものに近い。
ローレンティアは知っている。王城は自分にとって針のむしろだ。知っているから不安に顔を曇らせ、そして冷たく見下ろす母親を縋るように見つめていた。
「魔物の侵攻により住む村を失った民、技術的な専門家、対魔物の戦闘員等で構成される〝銀の団〟の使命は三つ。
その一、魔王亡き後も魔王城に残る魔物を掃討、魔王軍の完全な根絶を行うこと。
その二、魔王軍の有していた未知の技術及び資源を確保、議会へ持ち帰ること。
その三、魔王城を改装、居住区化し、戦災難民の自活を促すこと」
救済だ使命だと飾り立ててはいるが、あまり良いようには聞こえない。誰も本気で魔王城での自活を思い描いているわけがない。
結局のところは厄介払いだ。自国では賄いきれない国民を未だ脅威の残る魔王城へ送り込み、魔王軍の残党を減らせればそれで良し。魔物に襲われ全滅しても、口減らしと残存戦力の確認ができる。これはきっと、厄介払いの計画だ。
「〝銀の団〟は魔王城に駐在、魔物掃討・居住区設立を行い、各国の代表者がその指示・監督を担当します。我らが橋の国も建築に優れた工匠の他、貴族以上の位を持つ代表者を派遣することになっております」
……それでか。十年訪れることのなかった王城に今更呼ばれた理由を、ローレンティアはようやく知る。
強い目線を受け取った母親は、重い口を開いた。酷く歪な、十年ぶりの親子の会話だ。
「……王族を派遣するのは我が国だけだそうだ。従って、銀の団の最高責任者……団長も、我が国の者が務めることになった」
包み隠さず言えば、王女ローレンティアは忌み嫌われていた。だから彼女は王や女王、兄弟や兵士からも疎まれ、関わりを断たれていた。王都から遠く離れた古城で、幽閉されるように暮らしている。彼女は必要とされない存在だったのだ。それは彼女自身が十分に分かっていた。
「王位第八位、王女ローレンティア。お前を銀の団団長に任命する。魔王城にて使命を全うせよ」
女王は冷淡にローレンティアを切り捨てる。分かっていたけれども。
「……こんなに堪えるとは思わなかった」
魔王城への馬車の中で、ローレンティアは小さく呟いた。
嫌われていないと自惚れていたわけではない。お前は要らないという両親や兄弟の思いは、身振りや目線で知っていた。でも実際に言葉にして突き付けられると、要らないと切り捨てられると。
心がどこまでも沈んでく。
馬は歩き、車輪が回る。馬車は、魔王城への道を行く。同乗者でローレンティアの唯一の同伴者、使用人のエリスは、能面のような顔で外の景色を眺めている。
どこへ行けばいいのだろう。
必要とされなかった者達は、どこへ行けばいいのだろう。
ローレンティアが魔王城に着いたのは夜のことだった。
所々に立てられた松明が足元を照らす向こうに、黒く塗られた城がそびえ立っている。異界のような雰囲気を醸し出す魔物たちの城……夜の暗闇が産み落とした怪物にさえ見えてしまい、ローレンティアに少しばかり怖れが湧いた。
「こちらへ」
立ちすくむ彼女を引っ張るように、専属使用人のエリスが先導する。足元は石畳、魔物の都にしては整備されているという印象を受けた。
「明日の朝、団員の第一陣が到着するそうです。ローレンティア様には団長として挨拶をしていただきますので、今日はゆっくりお休みください」
あくまでエリスは機械的に説明する。淡白な顔と短く束ねた黒髪、ローレンティアより少し上の年齢の彼女は、長らく専属使用人を務めていても決して深く関わろうとはしない。
「……場所はあるの?」
「はい。仮ですが、銀の団到着前に魔王城周辺の魔物掃討を担当した先遣隊が残していったものがあります。彼らは任務を果たし、既に撤退済みですが」
「じゃあ今ここには誰もいないの?」
「いえ、銀の団の団員が三名、先入りして待機しているはずです。ああ、あれですね」
そう言ってエリスは魔王城の、おそらく正門だろう、いっそう明るく照らされている場所を指す。そこには確かに三人の人影があった。男性が二人と女性が一人。男性の一人は小柄だ。
新暦四六二年、まだ寒さの残る咲き月の末のこと。王女ローレンティアは初めて、銀の団の団員と接触する。
「やぁやぁ、若い団長さんとは聞いていたが想像より大分だな。ここまでの道中はどうだった?騎士の一人もつけずに来るっていうから心配してたんだぜ? 近頃は賊も増えているしさ!」
ローレンティア達を見つけるなり、三人の内の一人、小柄で茶髪の男は勢いよく話しかけてくる。
「まずは初めまして、だな。俺はラカンカ。トラップ解除を主に担当することになっている」
差し出された握手の手に、ローレンティアはおずおずと応えた。
腰に下がった短剣と丈夫そうな革のブーツに反して、防具といえそうなものは両腕に巻いた革のみで、可能な限りの軽装といった風貌だ。あまり手入れされていなさそうな髪は、邪魔にならないようピンでちぐはぐに留められている。
「あ、あの……。ラカンカというのは、あの……【月夜】の、ラカンカ?」
「そう!!」
ローレンティアが自分を知っていたことが誇らしいのか、ラカンカは満足げな顔で頷く。
「古今東西、数多の盗賊が名を上げたが、大泥棒と呼ばれたのは唯一人。【月夜】のラカンカとは俺のことだぜ!」
少し芝居がかった演技で鼻の下をこする。
【月夜】のラカンカ。城に篭っていたローレンティアでも噂を聞いたことがある。数多の貴族の屋敷に忍びこみ、けれども誰も彼を捕まえられなかった。月夜に現れ、私財や食料を盗んでは民にばらまく大泥棒。
へへんと胸を張るその男を、ローレンティアはまじまじと見た。その頭に拳が振り落とされ、顔が歪むところまで見届けた。
「痛ったあああ!?」
「盗みを誇るな。それに無礼が過ぎる。団長様、数々の非礼、お許しくださいませ」
そう言って深々と頭を下げたのは隣の女性だ。
「だ、だだ大丈夫! 頭を上げて!?」
その毅然とした言動に、ローレンティアは少し泡を喰ってしまった。
頭を上げた女性の顔立ちは整っており、硬い表情からは真面目さが見て取れる。金色の長い髪は後ろで束ねられ、民族的な軽い防具と、腰の弓、背中の矢筒は森の狩人の格好だ。
「失礼、ご挨拶が遅れました。私、森の国より参りましたザラストロの子、エミリアと申します。此度はこのこそ泥の監視役を命じられ参った次第、是非貴方の指揮下に……」
「ま、待って待って! よろしく! よろしくお願いします! あともう少し砕けた言い方だと助かる!」
「……そうですか? それは失礼致しました」
深々と頭を下げる彼女に聞こえないよう、ラカンカがこそ泥言うなや、と毒づく。
自己紹介には含まれなかったが、ローレンティアは知っている。彼女が、誰にも捕まえられないと謳われた【月夜】のラカンカを唯一最後に捕まえた、【月落し】のエミリア。ラカンカの逸話の最後によく語られる名だ。
「ラカンカ様、エミリア様、そしてアシタバ様。此度は、我らが銀の団へお集まりいただきありがとうございました。早速、ローレンティア様の本日のお部屋を確認したいのですが……」
一片の会話を終えたところで、エリスが早々と場をまとめ寝床の確認に移る。ローレンティアの体調を心配してか、いや本人も長旅で疲れていたからだろう。
ローレンティアは一人、話していなかった男の顔を見つめ─そして目が合った。
アシタバと呼ばれたその男はローレンティアより少し上、エリスと同じくらいの年に見えた。伸びがちな黒髪は後ろで軽くまとめられ、服や防具はところどころ黒ずんでいて、野性的という言葉が似合う。服装で言えば背中には何が入っているのか、大きな革袋を背負っていた。
「さて団長様、寝床に案内するぜ」
不意に声をかけられ、ローレンティアは目線を外す。見ればラカンカが城に向かって右側を指差していた。言葉遣いが失礼、とエミリアに頭を叩かれ呻きながら、ラカンカが松明を片手に先導を切り、エミリア、エリスがそれに続く。
「先に行ってくれ」
初めてその男、アシタバが口を開く。
「……え?」
「お姫様に殿を務めさせるわけにはいかない」
静かな声色は不思議とローレンティアを落ち着かせる。なんというか、同年代のはずなのに彼には熟練者の風格があった。
魔王城の外壁を左手に、一同は移動を始める。沈黙を埋めたのはエリスだった。
「それにしても」と頭上を見上げる。
「かなり高い造りですね。これだけ大きな城は、各国を探してもなかなかないと思いますが」
「高いのがすげーんじゃねぇんだぜ、この城は。深いんだ」
エリスの言葉に、ラカンカが答える。
「というと?」
「地下に深ーく伸びてるのさ。この城は。勇者が魔王を倒したのも最深部だ。地上より上の階は、どっちかっていうと飛行型や射手型のための物見櫓だ」
「物見櫓ですか、とてもそうには。私には、黒い巨人が蹲 っているようにさえ見えます」
「はは、エリスさんは面白い例えをするなー」
ラカンカも同じように魔王城を見上げた。
「それなら俺は、とびっきりの遊び場に見えるね。魔王城がさ」
「遊び場?」
「そ。多種多様な技巧を凝らしたトラップがわんさかある。ああいうのは大抵ゴブリンが頑張っているんだがな、ここのゴブリンはやっぱり筋がいい。エリートなのかな。侵入者の思考を読み切ろうと、まぁよくやっている」
「はぁ……」
「面白いのさ、俺は。ここでなら俺の腕をありったけ試せる。魔物との戦いは真っ平御免だが、罠解除なら大歓迎だ」
「相変わらず何を誇っているのだお前は」
ともすれば悪役のような笑みを浮かべるラカンカを、後ろのエミリアが戒める。
「お前は何に見えるんだよ?」
「魔王城がか?」
「勿論」
「……例えなきゃ駄目なのか」
呆れたと言わんばかりのため息をついた後、エミリアは真面目な顔で語り始める。
「私は……そうだな、箱だ」
「宝箱か」
「そういうわけじゃない……まだ、私の中で整理が付いていないんだが。勇者は魔王を倒した。とはいえ、魔王城の全てを把握したわけじゃない。この魔王城は、これから私達に開けられる箱だ。中に何があるか分からない」
「ああ、そういう伝承もあったな。開けると災いが、ってやつか?」
「……放っておくわけにはいかない。誰かが開ける危険を冒さなければならないのも分かる。だが……関わるべきでない、というものもあるのかもしれない。と、思う……すまない、このあたりはまだ整理がついていないな」
「意外に悩みが多いんだな」
アシタバが関心があるかのように相槌を打つ。
「団長様はどうなんだ? あ、アシタバは後で聞くから考えとけよ」
「わ、私!?」
急に話を振られ、動揺する。
「わ、私は……えーっと……」
慌てる。手の置き所が心配になる。口に左手を当て、右手で手すりを掴み─そして、がこん、と手すりが凹む。
「お?」
静寂。全員が足を止め、ローレンティアを見た。
「……お?」
ラカンカだけが、まずいという顔をしている。
「……やべ、解除忘れだ。そこ離れろ、団長!!」
言葉は遅く、既にローレンティアの足元の石畳が崩れ落ち。体が一瞬浮いた後、暗い、暗い底へと落ちていく。
「あ─」
急な事態に誰も動けない。いや唯一人、ローレンティアの手首を掴んだ。アシタバだ。ローレンティアを助けるため、彼も崩れる石畳の上に飛び出す格好になった。
二人、落ちていく。細い穴だ。ローレンティアの視界は暗く。アシタバが自分を抱き寄せ、そして体を下側に滑り込ませたのが分かった。
「駄目よ!」
風が耳を切る。どれだけ落ちるのか。ラカンカ達の何か、叫び声が聞こえる。アシタバが腰の剣を素早く抜いた。壁に突き刺す気だ、と理解する。
「しまった」
直後、アシタバが呟いた。
「抜けるな」
その意味をローレンティアが理解する前に、二人は狭い穴を抜け、巨大な空間へ放り出された。依然暗闇。どれだけ広いか分からない。ただ、剣を突き刺す壁がないのは確かだ。
「すまない」
と、アシタバが呟く。その下、暗闇の中で、地面が迫ってきているのが分かった。これから叩きつけられる。
「大丈夫です」
ローレンティアが呟いた。
「私は、死なないもの」
轟音と、衝撃。終わって、静寂と暗闇だ。
アシタバはゆっくりと体を起こす。それなりの衝撃はあったが、無傷だ。死ぬかと思った。いや、あの落下距離なら死ぬはずだ。何が起こった? 覚えているのは、そう─。
ローレンティア。彼女が着地の寸前、自分の体を下に滑り込ませた。そうしてようやく思いつく。彼女はどこだ?
「ローレンティア?」
名を呼び、辺りを見回し……そしてアシタバは素早く戦闘態勢を取った。目の前に怪物がいたからだ。
これは魔物なのか、とアシタバは考える。一言で表せば、それは黒い塊だった。黒い腕の塊だ。細長い帯に似た何十本もの黒い人の腕が、まるで繭のように何かを包んでいる。意思を持っているのか。一本一本は、ふよふよと不規則に空中を漂っている。
いや、段々と収束している。
「これは─?」
腕が段々と短く、少なくなっていく。そしてその、包まれていた中心が姿を現した。一人の少女が、そこに倒れている。
「……ローレンティア?」
王女ローレンティアは、呪われている。あれは忌み子だ。呪われた王女だ。
何度も、何度も言われた陰口。別に、私の知らないところで言ってくれればいいのに。彼らは、陰口の然るべき声量というものを知らない。
父親も母親も金髪の家系なのに、王女ローレンティアは銀色の髪を持って生まれた。兄弟とも違うその色に、王は妻の不貞を疑い、一時期夫婦の仲は最悪になったそうだ。
だが、ローレンティアは間違いなく父、王の子で。銀色の髪は、彼女が持って生まれた呪いによるものだった。
それが分かったのは皮肉にも、王に不貞を疑われヒステリックになった母親が、ローレンティアに刃物を向けた時だ。
帯状の腕が彼女を守った。黒いそれは、ローレンティアの影から湧き出てくる。いつでも、彼女の身に危険が及んだ時に。
王女ローレンティアは呪われている。その報せはすぐに王都を駆け巡った。
母、女王は不貞の疑惑から解放され。そして不貞の子として隔離されていたローレンティアは、より厳しい目を向けられる。お前など、王族から呪われた子など、生まれない方がよかったのに。そう言われたことはない。でも、態度を見れば分かる。
母親に刺されて一回。高所から突き落とされたこと二回。刺客に襲われること五回。その全て、呪いの黒い腕がローレンティアを守った。
そして黒い腕を纏った異形の姿を見られる度に、彼女の味方は減っていった。
目覚めていくローレンティアが始めに感じ取ったのは音だ。
ぱちぱちと火が燃えている。仰向けで横たわる自分の左側は、明るく温かい。右側からは足音─多くて軽い。四足歩行だろうか、低い唸り声も聞こえる。近くで剣を抜く音が聞こえる。
「剣?」
異常を察したローレンティアが素早く上体を起こす。
「目が覚めたか」
声をかけるアシタバは振り向かない。焚き火と自分でローレンティアを挟むように立つ彼は、暗闇を凝視していた。周囲は真っ暗だ。床は土。焚き火が照らす範囲には、アシタバとローレンティアだけ。
範囲外の暗闇には─何かいる。いや、囲まれている。
と、ローレンティアが思うのと同時に、一つの塊が暗闇から飛び出、そして素早く剣を振るったアシタバに両断される。血が吹き出る、その姿を焚き火の明かりが照らす。狼だ。正確には狼に似た魔物。
「ウォーウルフの群れだ」
アシタバがそう言うや否や、暗闇から続けて二、三と狼が飛びかかってくる。黒い毛と大型犬よりも一回り大きな体。何よりも目が異質だ。宝石か真珠のような艶のある楕円形は、彼らが普通の動物ではないと決定付けている。
「火から離れるな。体を低く。両手を喉元に添えておけ」
一閃、二閃、アシタバは狼たちを切り捨てていく。
「危なくなったら叫べ」
目の前の流血沙汰に、ローレンティアはまた気を失わないようにするのが精一杯だった。
「さっきの魔物はウォーウルフだ。狼に近い動物寄りの魔物でな。ここはもう魔王城の地下で、落ちたのが彼らの縄張りというわけだ。彼らが人間を襲うのは二つの場合しかない。狩りをするためか、縄張りを守るためか。さっきのは、まぁどっちでもあったわけだが」
アシタバが、息絶えたウォーウルフの皮を剥ぎながら説明する。ローレンティアはあまりの生々しさに耐えられず、暗闇の監視役をしていた。
「中でもウォーウルフは無用な争いは避ける傾向にある。だから示してやればいいのさ。俺達は狩るのに苦労するってことをな」
実際、先ほどの……ウォーウルフの群れは、先陣の五匹ほどが倒されるところを見るや否や撤退していった。いや、完全には撤退していない。暗闇の中でローレンティア達を見張っている。でも隙を見せなければ、これ以上縄張りを荒らす素振りを見せなければきっと襲ってはこない。
「この暗闇を動き回って上への道を探すのは上策じゃない。何が飛び出るか分からんし、鼻が利くウォーウルフ達はついてくるだろう。ラカンカと灯火語りをしたが、明日の朝までここで待って、第一陣の団員が到着したところで上から引っ張り上げてもらおうと思っている。あの面子だけじゃ力不足だしな」
そう言って頭上を見上げる。ローレンティアも同じように視線を上げると、やけに明るい点があった……落ちてきた穴だ。
「あそこが落とし穴だ。ラカンカ達が松明を集めた。そこの焚き火も松明を落としてもらってな」
パチパチと燃える火を見ながら、ローレンティアはゆっくりと落ちた時のことを思い出していく。
「落ちた、んですよね」
「ああ、落ちた」
「それで無事、着地をした」
「したな」
「と、いうことは………見たんですか?」
自分が無表情になっていくのを自覚した。
「見たかと言われれば」
アシタバも、同じくらいの無表情で向き直る。
「見た」
ああ。ああ…………最悪だ。
「はは……」
乾いた笑いが出る。今まで、城の中でもローレンティアに同情をしてくれた人はいた。呪いと言っても生まれはどうしようもない。親も薄情だよ、可哀想じゃないか。
それでもあの姿を見れば、そういう言葉は消えていく。理解するんだ。この子は本当に、普通じゃないんだと。
「………私は、本当に何もできなくて。今回の最高責任者の件だって、お飾り以外の何物でもありません」
気付けばローレンティアは自分語りをしていた。
それは眠ってはいけない朝までの時間を埋めるためだったり、ローレンティアの生涯で初めての、祖国や使用人から離れた場所であったり、あるいはアシタバが語り相手として好ましく感じたなど様々な理由があるのだが。
一番は、吐き出さないと不安で押し潰されそうだったからだ。
「正直、魔物は怖いですが……この辺境の地で住むことにそれほど抵抗はありません。今までも僻地の古城で暮らしてきましたからね。ただ……」
言葉を切る。アシタバは黙ってウォーウルフを捌いていく。その距離感が居心地がいい。
「両親や兄弟は……私のことをいない方がいいと思っていました。それが今回の件で、明確に突きつけられて。あなたは要らない、と言われたようで。分かっていたのに、これほど自分が揺らぐなんて予想してなかった」
焚き火の外に広がる暗闇が、このまま自分を飲み込んでくれたらいいのに。自分を知る、全ての人の意識の外で。静かに、密やかに終わりを迎えられたらいいのに。
「私もずっと思っていました。自分は、いない方がよかったって」
息をするだけで迷惑をかける。他人に泥を塗りながら生き長らえる日々。肩身は狭く。喜びはない。陰口と後ろ指に耐え続けるだけの、長く細い日常。
「でもどんなことがあっても、あの呪いは私を生かし続けた。だから、逃げ場もなくて」
退場できない舞台劇。どうしてこんなに醜い。私は、どこへいけばいいんだろう。
「私は終わりたかった。ずっと」
変える勇気も、終える勇気もなかった。意味もなく続けてきた、ここが終点だ。魔王城の地下は依然暗く。ローレンティアが語りをやめれば、パチパチという焚き火の音と、グツグツという音しかしない。
グツグツ?
違和感に気づいてローレンティアが振り返ると、何やら焚き火の周りに骨組みが作られている。その上からぶら下がっている、あれは……。
「……なんですか、それは」
「知らないのか? 王宮暮らしも大変だな。これはな、鍋というんだ」
「いえ、それは知っています」
アシタバの脇には、一口大に切られたウォーウルフの肉が積まれている。
「食べるんですか!?」
アシタバは背負っていた革袋から調味料だろうか、瓶を取り出し鍋に加えていく。
「食べる」
鍋に、皮を剥ぎ終わったウォーウルフの肉をぼちゃぼちゃと入れていく。ローレンティアはもはや、苦い顔を隠す気も失せていた。
「ウォーウルフは肉食だし脂肪も少ない。つまりは美味しくないんだがな。飯抜きというわけにもいかない。あんたも長旅であまり食事を取っていないんだろう?」
それはその通りだった。食欲の湧かなかったローレンティアは馬車の移動中、まったく食事を取っていない。今、お腹が空いているかと言われれば、空いている。
「まぁ、食べておけ」
魔物を食べることに抵抗がなかったわけではないが、この異常事態で空腹に耐えるのは面倒に感じられた。ウォーウルフのスープは、正直に言えば美味しくはなかった。牛や豚と比べて硬く臭みがある。ただもう春になるとはいえ魔王城の地下は肌寒く、温かいスープはローレンティアにとって有難かった。
そんな食事も終わり。スープはすっかり冷え、湯気も上らなくなった。焚き火を挟んで二人、楽な姿勢で座り、反対方向を監視しあう。
長い。落ちてからどれぐらいたっただろうか。眠れず、休めず、暗闇を相手にし続けるのは精神的に参ってしまう。
「……すいませんでした。私のせいでこんなことになってしまって」
「こんなこと?」
「こんな、ウォーウルフの縄張りの中で一夜を越すなんて」
「ああ、それか」
ふぅ、と息を吐く。
「いつものことだ。俺は探検家だからな。こんなのはよくやっている」
「探検家の方だったのですか」
探検家。魔物ひしめくダンジョンに潜り、調査や新発見、あるいは魔物の無力化を図る対魔物の専門家だ。
「むしろ俺の方こそ謝らなきゃ……いや、礼を言わなきゃ、だな。助かった。ありがとう」
自分の方に向き直り頭を下げるアシタバに、ローレンティアは面食らう。
「……え?」
「落下の時だ。命を助けられた。本来なら俺がどうにかするべきだったが……対応し切れなかった」
「……い。いやいやいやいやいやいや!! そもそも落下の原因は私ですし!!」
「あれはラカンカの見落としだ。あんたが特別度を越えた動きをしたわけじゃない」
「でも、落下にあなたまで巻き込んでしまって!」
「あの時点で俺達の役割はあんたの警護・案内だ。仕事のうちだよ」
「で、でもですね……」
「あんた、自責の念が強いな。あんまりいい傾向じゃない」
「え?」
鋭くアシタバが目を観る。視線で貫くような気迫だ。観察されている、とローレンティアは思った。
「何でもかんでも自分のせいだと結論付けるのは手っ取り早いかもしれないが、判断力が鈍る。自分のせいじゃないものまで背負うことになる。さっきの話もそうだ」
「さっきの」
「ウォーウルフの親は子に狩りを教える。子供に生き方を教えるのは、親の役目だ。と思う。子を要らないという親を、俺は認めない」
強い口調で断言した。彼は、アシタバは、ものを良く観て大事なことを伝えてくる。これだけ自分を観てくれる人に、惜しげもなく助言をくれる人に、ローレンティアは初めて出会った。
「信じてもらえるかは分からないが……俺はあんたのあの姿、別に気味悪いとは思わなかった。あれよりグロテスクな魔物も沢山見てきたからな。ま、これはフォローになっているのか分からないが……」
淡々と語られる言葉を漏らさないよう、ローレンティアは黙って耳を傾ける。
「俺はな、生き物が好きなんだ。魔物も例外じゃない。ウォーウルフは実は一番好きな種だ。奴らは賢い。不必要な争いは徹底して避ける」
「食べるのに?」
「これは一応、俺なりの敬意だ」
アシタバが、手に持ったスープの器を傾ける。
「死んだらそれまで。だからせめて、死骸は余すことなく有効活用してやりたい。皮も、牙も、肉も」
焚き火の側にはなめされた毛皮が干され、まだ血の残る牙がその横に集められている。
「本当に生き物が好きなんですねぇ」
「ああ……でも、好きになれない生き物もいる」
「それは?」
「蚕だ」
カイコ。名前は聞いたことがあるが、姿は分からない。
「それって、絹の?」
「ああ。蛾の一種でな。蚕の蛹を茹でることで、糸が、絹が取れる。紡織産業の発展は、あいつら無しではなかっただろう。かなり昔から人間と共にあった生き物だ……だから、蚕は野生回帰能力を失ってしまった」
「野生回帰能力?」
「人の手を離れて、また自然の中で自立して生きていく能力だ。蚕は完全な家畜化が進んでいてな。人と生きる時間が長すぎた。あいつらはもう、人間無しでは生きられない」
アシタバの声が沈む。
「羽が退化しているんだ。もうろくに空も飛べない。それに、足の力が弱まっている。幼虫も、成虫も。木や葉に掴まり続けられないんだ。自然に帰したところで、あいつらは力尽きて葉から地面に落ち、捕食されるのを待つだけだ」
「与えられることに慣れてしまったのですか」
「そうだな。そういうことだろう……人間も似ているとは思わないか?」
「似ている?」
アシタバは言葉を慎重に選んでいるようだった。ローレンティアも、彼の話により集中していく。
「蚕が人間に飼われているなら……人間は社会に、国に飼われている、ように俺は思うんだ」
「国に?」
「……例えばあんたは料理を作れないだろう。芋や米をどう育て、収穫するか知らない。あんただけじゃない。都市部に住む人は、自分の仕事しか知らない。俺も、この剣を作れと言われても無理だしな」
傍らの剣を小突いてみせる。
「人の国は支え合いだ。それぞれが自分の仕事をする。別にそれが悪いとは思っていない。だけど国から、支え合いから弾かれた時……明日の飯にも困る人が大半だろう」
想像した。天をも覆うような巨大な蜘蛛みたいな怪物が、人々の頭上を闊歩し、その生活を監視している。その、国という怪物に生かされている日々。
「人間も野生回帰能力を失っている?」
「そう。繰り返すが、俺は支え合いの人間国家が悪いとは思わない。個々が、生きるための技術を全て身につけておかなくてはならない、と言いたい訳じゃない。ただ……」
「ただ?」
「……蚕が苦手なのは、あいつらに意志が感じられないからなんだ。生きるっていう意志が。あいつらは、その意志を支配者に預けてしまった」
声を曇らせる。嘆いているのは、人の業か、蚕の運命か。
「だから俺はただ……蚕に飛べ、とまでは言わない。ただ、しがみつくことまでは止めないで欲しいんだ。自分が立つ、その葉に」
ひとたび会話が終わると、アシタバはそれ以上は語らなかった。
ローレンティアは膝を抱えて、彼の話を反芻する。蚕。野生回帰能力。あれは自分のことを言っていたのだろう。
人の輪から逸れたローレンティアは、外の葉の上に放り出された蚕と同じだ。生きる気力をなくしていた。どこへ行けばいいのだろう。どうやって生きていけばいいのだろう。切り捨てられたことに沈み、静かな終わりを望んでいた。
彼は。アシタバは、待っているのかもしれない。蚕が飛び立つ、その日を。
「……来たな」
背後でアシタバが呟く。ローレンティアも上を見上げた。頭上、落ちてきた穴は明るさを増している。もはや松明だけの明るさではない。そして何やら、耳を澄ませば騒がしく。
「……?」
ラカンカの顔が一瞬見えたと思えば、穴が布で覆われ、素早くどかされ、その繰り返しだ。穴の明かりがちかちかと不規則に点滅する。
「ウォーウルフだけなら大声出してもいいとは思うが、念のためだな」
アシタバも立ち上がり、焚き火の前で革袋を上下させ始めた。確か光の点滅で会話を行う、灯火語りとかいう技術だ。やがて穴からするすると、ロープが降りてくる。
「お疲れ様だ。出るぞ」
もう朝だ。引き上げる準備ができたのだ。
「おら、てめーら気合入れろよ! スムーズに、着実にだ! 声合わせろ! せーのォ!!」
頭上から音頭を取っているらしい男の声が聞こえる。アシタバは手早く自分とローレンティアの体をロープに繋ぎ、片手でローレンティアを支えて引き上げられる態勢を整えた。
「両手でロープをしっかり掴んでいてくれ。あんたは落ちても平気みたいだが、色々面倒なんでな」
「は、はい!」
やけに緊張してきた。この暗闇ともお別れだ。ロープがピンと張り、二人の体が浮き上がる。両手に改めて力を込めた。ローレンティアは、新しい日常を始めなければならない。
「そういえば、この城が何に見えるかって続きだったな」
頭上の、光る円へと引き上げられる途中、アシタバがぽつりと呟く。
「え?」
「俺は、この城が島に見えるよ。この城は、魔物にとって最後に残された孤島なんだ」
「……孤島」
「俺は、知っておきたいんだよ。ここに残された魔物たちが、どうやって生きているのか。どうやって生きていくのか」
その目は、まっすぐに光の方を見ていた。ローレンティアも同じ方向を見る。光が近づく。引き上げられる。
とある貴族は、銀の団には三種類の人種が参加している、と評した。
曰く、一つ目は見識のない平民。新天地での生活という謳い文句に踊らされ、魔王城の危険性を顧みず参加した、愚か者たち。(尤もこれは、参加する以外に選択肢のない戦災難民の事情を無視したものだったが)
二つ目は、良識のない貴族。祖国で信頼を失い、あるいは役に立つ能を磨かず、切り捨てられた厄介者たち。
そして三つ目が、常識のない専門家。専門的な何かに精通し、己の腕を振るうために、試すために、あるいは磨くために集まった─そのためなら魔物の危険性も厭わない。そんな、常軌を逸した熟練者たち。
「よーお姫さん。初っ端からダンジョンに踏み込むとは、なかなか果敢じゃねーの」
一番に話しかけてきたのは人一倍背の高い、少し年老いた男性だ。音頭を取っていた人だと、声で判別できた。光に目が慣れていく。
穴の側にはそのノッポの男と、ラカンカ、エミリア、エリス。そしてロープの先に、男達が列を成すように立っていた。それぞれが使い古された防具や刀剣を身に着けている。第一陣は一部の重要人物と戦闘従事者と聞いている。
全員がローレンティアを見ていた。やれやれと呆れ顔をする者や。早速問題を起こした王女を面白そうに見る者や。この団の長を値踏みする者や。
「あー、お姫さんはお疲れだろう。なんせ魔物の巣の中で徹夜だ。使用人さん、どこか休めるところに─」
「あの、いえ、少し待ってください」
話を進めていくノッポをローレンティアが遮った。なんだろう。彼女はまだ頭が回らない。でも皆が見ている。そして助けてもらったのだ。何か言わなければならないと思った。
「この度は、私の不注意で皆さんに迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。そして、ありがとうございます」
深々と頭を下げる。その王族の所作がどんな意味を持つのか、どれだけ周囲をひやりとさせたか、彼女はまだ分かっていない。それでも。
「改めて、私がこの魔王城居住区化を進める銀の団団長、最高責任者ローレンティア・ベルサール・フォレノワールです。私は残念ながら、武勇に優れているわけではありません。貴族界に顔が利くわけでも物を知っているわけでもない。正直なところ、お飾りでここに据えられました」
困惑する者、より意識を向ける者、成り行きを静かに見守る者、口角を吊り上げる者。これからこの者達と暮らしていくのだ。生まれ、性格、特技、 好き嫌い。すべて違う。
銀の団には、様々な専門家達が参加している。探検家。大泥棒。狩人。建築家。商人。鍛冶師。農家。それらが忙しなく滝のように、雑多に交差する。
「けれど力の限り、役目を全うします。及ばない時は、どうか力をお貸しください。私も、もっとあなた達のことが知りたい」
銀の団結成初日、彼女が行った演説が、誰に何を与えたのか。何を動かしたのか。ローレンティアは、まだ知らない。それでも。
魔王が勇者に倒されて、世界は平和へと緩やかに歩み始めた。戦乱とその次に来る時代の、この狭間の時代は日の出前、後に暁の時代と呼ばれた。
勇者の物語のその後の話。後処理のため、最前線で戦った者達の話。
「どうかここで、私と共に生きてください」
今のローレンティアには、魔王城が大きな一枚の葉に見えた。しがみついてやろうと思ったんだ。この最果ての地で。
生きてやろうと、思ったんだ。
